私は、虐待の被害者そして今加害者。無くなった子供の笑顔の理由は。
今日もたくさんの笑顔が生まれ幸せを感じながら生きている人が多いでしょう。
誰かのために「何かする」、その想いが笑顔になり幸せとつながっていくんです。
今回の記事は、TwitterからDMでご依頼された方のエピソードです。すごく衝撃的な内容で公表を迷われていましたが、影響を与える作品としてぜひ知ってほしいという想いで発表させていただきまいした。
過激な表現もございますので、ご注意しながらご覧ください。
笑顔をなくした我が子
私は被害者
「私の人生は、ほとんどが虐待で育ったんです。間虐待の被害者です。そして子供が生まれ、今3年間虐待の加害者です。」
そんなDMが突然やってきました。
今までは、いじめや虐待・DVの被害者からの作品依頼はお受けしていましたが、今回は虐待の加害者からの作品のご依頼です。
ご依頼者の女性は、生まれて物心がついた時には両親からの暴力によって虐待が日常化されていた。共働きによって学校から帰ってきても家でひとりぼっち。
虐待を学校に相談していたが、担任の教師は問題化せずに何も改善されていなかった。一番近くにいる大人も信じられないまま育っていった。
高校を卒業しても進路は近くの大学に決められていた。家から出られるきっかけもなく在学中も門限22時、バイトも禁じられ友達との接触も許されなかった。
それでも社会人になり、仕事場で出会う仲間ができ大切な人との出会いもあった。自分の人生がどれほどの苦しみかは、その時に実感したそうです。
30歳の誕生日、その時に付き合っていた方と駆け落ちをし両親から離れ、見知らぬ地で結婚をすることになる。
ようやく自由になれた人生は、何かもが新鮮で暖かったようです。友達と飲みいったり、旅行に行ったり大切な人と将来の話をする、私たちでは当たり前なことが幸せなんだって気づいた。
そして1年後、2人の間に念願の子供を授かる。
私は加害者
念願の我が子は、可愛かった。この子は私のように縛られない人生にしてあげなきゃと誓った。
子供はすくすく育ち、ハイハイを覚えゆっくりゆっくり歩くようになるまで割れ物に触れるように大切に育てていた。どれだけ泣いても可愛く思えていた。
子供が1歳を迎える時、旦那さんが勤めていた工場をリストラされた。これを期に人生が再び狂い始める。毎日覇気のない旦那さんとの生活、口数も少なく一緒にいる時間が苦痛になり、たまに口を開けば中傷するような言葉。「うるせー」「黙れ」「死ねよ」「邪魔」
彼女は思い出したくない過去をフラッシュバックさせてしまう。精神的に追い詰められる日々、旦那さんは口だけではなく、物を投げてくるようになる。作った夕飯も一口も食べずにキッチンのゴミ箱へ投げ捨てる。
そして、張り詰めていた線はプツンと切れた。
泣き止まない子供に布団をかぶせ外へ逃げてしまった。
3〜4時間は外に出ていたようで、帰ると子供は布団に包まったまま寝ていた。自己嫌悪になり自分を攻めて幾度もリストカットを繰り返す日々。思いとどまるのは、子供が生まれてきた景色が脳裏から消えないから。
それからも旦那さんからの暴力は続き、そして自らの手で我が子に手をあげるようになった。
「私は加害者です。」
こんなに悲しい言葉は、初めて受けました。
逃げる勇気
虐待を自覚してから精神科に通い、虐待していたという事実を受け取ることから始めた。そしてあの時と同じように、『逃げる』と決断した。
旦那さんと話し合いを続けていたが「世間体が理由」で離婚はできずにいたが、子供を連れて旦那さんが留守中に家を出た。
行き先は親戚の家。事情を話すと快く受け入れてくれた。
あの日の決断がなければ人生が終わっていたと本人は言っていましたが、まさに「逃げる勇気」だったと思います。
暴力の現状
配偶者からの暴力や性暴力は、「7人に1人」が配偶者などから繰り返し暴力を振るわれている経験があると言う調査結果があります。新型コロナウィルスの外出自粛で家族の時間が増えDVと児童虐待のリスクが増えている事実もあります。失業や休業のストレスや不安が原因で被害が生まれ、暴力を振るう側が身内のケースがあるため、相談が出来ない人が多い。
DVを受けた人は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)なり、日常の生活にも支障が出てくる。性暴力を受けた女性は男性と話すこと、触れることを避け引きこもりになるケースが多く、配偶者や身内からのDVを受けた被害者は、帰る場所を失い自分の存在意義をも失い、自ら命を絶つ人も多い。
相談は内閣府の「DV相談ナビ」をご利用してみてください。全国どこからでも相談できます。また身近でDVを目にした時にも相談してください。
DV夫から解放された日、それは人生再開の日。
子育てに苦戦
心にゆとりが持てないから子育てに向き合えない。子供が泣けば抱っこすれば泣き止む、お腹が空いて泣くからからご飯をあげれば泣き止む。子供を抱っこするたびに「ごめんね」って言ってしまう、そんな毎日の子育て。
布団をかぶせて逃げたあの日の記憶がずっと引っかかっていたのだ。
2歳、3歳になっても子供はなかなか笑わなかった。そんな子供を見るたび「ごめんね」って思ってしまう。取り戻したい過去は、消したい過去でもあった。
ママ大好き
3歳になり保育園に通い始めた頃、子供は変わり始めた。言葉を覚えて感情も豊かになっていく。変わりゆく子供を見ている母親が笑顔になっていったのです。笑っているママの顔を見る子供は、
ぎゅっと抱きしめ「ママ大好き」と耳元で言った。
人生が反転するイメージ。生まれてきてから今までの人生には色がなかったが、全てに色が付いて人生が初めて明るく見えた。
誰かに求められることがこんなに幸せだなんて、その時に気づいたようです。
後悔しながら生きてきたことが死ぬほど辛かった。
今回の作品はこちらです。
その笑顔をいつまでも
守りたくて
だから今日も
わたしから
笑顔にならなきゃ
一つの笑顔が生まれるまでに、どれだけの意味があってどんな想いがあるのか。
今回の作品を書くにあたって、笑顔になる理由がどれ程の想いが込められているのかを考えていました。当たり前のように笑っていることが、いろんな理由があると思うと忘れている幸せを思えるきっかけになるかもしれません。
笑顔でいっぱいになる、人生をぜひ送ってください。そして隣にいる人の笑顔の理由になる人になってください。