あの日の奇蹟
奇蹟を信じる?奇蹟を経験したことがある?
心が壊れた日に起きた奇蹟
小さい頃からの夢は「自分のお店を出すこと」。アパレル業界で働いていた時にこの夢は、明確な形になっていく。たくさんの友人に応援され、たまたま飲みに行ったお店で出逢った不動産屋さんから理想的な立地条件の店舗の紹介。全てが【いいタイミング】だった。
そしてそこからのすべての時間が幸せだった。商品の買い付けやオープン準備すべてが楽しかった。
オープン前日、お店に関わってくれた仲間と酒を飲みながら明日のオープンを楽しみにしていた。
オープン当日、少し早めに家を出ていつもは止まらない交差点の信号が赤に変わり、車を停車させていると、突然体が震えだした。
『これで失敗したら人生終わりだ。』『どうしよう』
この言葉が頭をグルグルと巡っていく。前日までのワクワクなんて消滅してしまったのだ。
オープンから半年、たくさんのお客様に支えられ黒字経営に転じることとなるが自信がついてこない。
夢が現実になり、心が壊れる瞬間は、オープンから1年目のとき。周りから見ればおそらく繁盛店。融資先の銀行から2店舗目の出店を持ちかけられた時。
『返済計画もたちますし、2店舗目どうですか?次はオーナーさんの想いをもっと乗せたお店。たくさんのご友人の中からお店を任せられる人いませんか?』
この言葉の後、恐ろしいことに気づくことになる。
友達が一人もいない。
オープンから1年、1日も休まずに営業し、友人との付き合いも後回しにしていた。もちろん家族とも疎遠になってしまっていた。
そして致命的なこと、夢がなくなっていた。
オープン初日に【叶えた夢】になっていたのです。お店を出すこと、こんな夢はオープン日に消滅した。そして失敗しないように人生をかけて呪われているかのように働いた。
結果が、お店はあるが一人である。
任せられる人財もいないため、2店舗目の話はお断りし、夢を持てなくなった自分は、何のために働くのかを見失ってしまったのです。
当然そんなメンタルではやっていけずに、オープンから1年3ヶ月。閉店することになった。
奇蹟を信じる人生は明るくなる。
夢を実現できたのも、夢を失って心が空っぽになってしまったのも、すべてがいろんな奇蹟の上で起きていることです。
そして人は心が壊れた時に簡単に死ぬことを選択してしまう。というより居場所を失ってしまうのだと思うんです。
帰る場所だったり、行きたい場所がない人生は本当に辛いんです。
「一人じゃ生きていけない」とよく言われますが、少しニュアンスが違います。
「一人で生きていっても生きてる意味がない」
日々たくさんの奇蹟のなかで生きている。
今日も周りには奇蹟が溢れている。
この時代に生きている奇蹟を感じながら、幸せを探してみよう。
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