突如、いなくなった彼女
人生で誰もが迎える、大切な人との別れ。それが永遠の別れであれば、人生の価値観が変わるほどの衝撃的な出来事。突然迎えるその日を考えることが、「いま」の当たり前の幸せに気づくことになるはずです。
当たり前の幸せは失う前兆
「おはよう。」「おやすみ。」1日が始まり、1日が終わる。そんな当たり前の毎日。
忘れていませんか?そんな当たり前が当たり前じゃなかったこと。
誰かがいるから生まれる日常は、きっと違和感ばかりで新鮮な毎日です。誰かの人生と交われることは「一人じゃない」って思わせてくれる。それが「幸せ」だって思える。
大切な人と毎日繋がっていることは、幸せですよね。
毎日が幸せの更新をしているような、足し算の毎日。明日が楽しみになったり、一年後を想像したりと人生がプラスへと転じていくような感覚になる。
それが、幸せというものだろう。
それでも。
日常に溢れている「幸せ」は、すぐに「日常にあるもの」になっていくのです。
連絡を取れるだけでも嬉しかったことは、いつか当たり前になる。
待ち合わせして会えることは、いつか当たり前になる。
一緒に食事して、笑ったり、喧嘩したり、泣いたりすることは、いつか当たり前になる。
そうやって手にした「幸せ」はやがて当たり前のものになる。それが悪いわけではなく、日常化されてしまう。
毎日が幸せの更新をしていく中で一つの小さな破綻が亀裂を生み出す。
比べてしまう過去の幸せ
毎日幸せな日々が続いていく中で、やがて「幸福感」は下がっていくものです。
なぜか?幸せとは、過去の幸せと比較して、今が過去よりも幸せかを察るからです。
人は、すごく欲張りな生き物です。無いものを欲するものですから、昨日の幸せよりも今日の幸せを望むのです。
ある日を絶頂に幸せのグラフは下降していく。その修復は、なかなか難しい。それは誰もが経験があるでしょう。
思い返してみる、いまある「当たり前なもの」
例えば、こんなやり取りがある。
彼氏「明日飲み行こうよ!」
彼女「別にいいよ」
彼女は乗り気じゃない感じしますよね。彼氏は、きっと幸福度は下がってしまいます。
翌日に会った時には、以前の楽しかった思い出と比べて楽しくないなって思うはずです。
すると幸福度のグラフは下降していく。
結構よくある話だと思います。
こんな時、出会った時のことを思い出してみてください。
毎日は刺激的で、明日どんな話をしようかな、とかワクワクしていたはずです。
それは、明日が想像できなかったからなんですよね。
出会った時のこと、初めて話した時のこと、手を繋いだ時のこと、想いが届いた時のこと。
思い返すといろんな勇気や奇跡があって今の幸せがあるということを思い出してみる。
大切なものほど近くにある
楽しかった思い出や幸せだった想いは、当たり前のものになってしまい、存在にすら気付かないこともある。大切な人がいることも当たり前に思ってしまう。
もし明日、大切な人が亡くなってしまうとしたら後悔はありませんか?
伝えていない言葉はありませんでしたか?
もっと行きたい場所なかったですか?
「ありがとう」って言いたくないですか?
これもすべていまある「当たり前」では無いですか?
いますぐにでも出来ることなはずです。
伝えなきゃわからない想い
人の命は永遠ではなく、大切な人との時間も限られたものです。もし明日大切な人がいなくなったらと考えることで、今伝えなきゃならないことが見つかるんです。
当たり前の反対語は、ありがとう
そう思っていれば、自分の大切なものを守ることがきっとできるはずです。
今日より明日幸せになれる、魔法の言葉を大切な人に届けていきましょう。
幸せな時ほど最期を考える癖がある。
いや、これネガティヴではないです笑
胸に手を当て鼓動を感じ、心臓が血を送り出す音を掌に感じと生きてると実感する。
命の音が止まるまで生きたいと思ってしまいます。
誰も生まれてきたときに宿命は感じていません。生まれてきた後に出会った人や生まれてきた環境で決まってくると思うんです。
「好きな人ができたら、その人を守るために生きたい。」
「自分が生きた証を残したいから」
一つの命を燃やして生きることの理由は、人それぞれです。
でも必ず生きる理由はあるはずなんです。たった一度の人生ですから、命をつなぐことや生きた証を残すために生きていきましょう!
生きる理由
今日幸せを想うことは
明日を生きる理由があるということ
あなたのために生きたい。
最近、交通事故で子供が亡くなるニュースが多いですね。飲酒運転事故に巻き込まれたり、高齢者の運転事故によって亡くなってしまうニュースを目にすると心が痛くなります。
もっとも心を痛めたニュースは、池袋の暴走自動車事故。
池袋で飯塚幸三(当時被告・現実刑)が運転する車が暴走し、松永真菜さん(当時31歳)と長女莉子ちゃん(3歳)が死亡、9人が重軽傷を負わせたのは2019年4月。ブレーキとアクセルを踏み間違えたと過失を認定。禁錮5年の実刑判決が言い渡された事件。
本当に心が痛いし、許せない。
一瞬で愛した人と愛する子供を失う気持ちは計り知れません。命は、突然消えてしまうものかもしれません。だから絶対に後悔しない日々を送りたいんです。
明日愛する人へ、想いを伝えてください。そして生きてる証を残してください。
奇蹟を信じる?奇蹟を経験したことがある?
心が壊れた日に起きた奇蹟
小さい頃からの夢は「自分のお店を出すこと」。アパレル業界で働いていた時にこの夢は、明確な形になっていく。たくさんの友人に応援され、たまたま飲みに行ったお店で出逢った不動産屋さんから理想的な立地条件の店舗の紹介。全てが【いいタイミング】だった。
そしてそこからのすべての時間が幸せだった。商品の買い付けやオープン準備すべてが楽しかった。
オープン前日、お店に関わってくれた仲間と酒を飲みながら明日のオープンを楽しみにしていた。
オープン当日、少し早めに家を出ていつもは止まらない交差点の信号が赤に変わり、車を停車させていると、突然体が震えだした。
『これで失敗したら人生終わりだ。』『どうしよう』
この言葉が頭をグルグルと巡っていく。前日までのワクワクなんて消滅してしまったのだ。
オープンから半年、たくさんのお客様に支えられ黒字経営に転じることとなるが自信がついてこない。
夢が現実になり、心が壊れる瞬間は、オープンから1年目のとき。周りから見ればおそらく繁盛店。融資先の銀行から2店舗目の出店を持ちかけられた時。
『返済計画もたちますし、2店舗目どうですか?次はオーナーさんの想いをもっと乗せたお店。たくさんのご友人の中からお店を任せられる人いませんか?』
この言葉の後、恐ろしいことに気づくことになる。
友達が一人もいない。
オープンから1年、1日も休まずに営業し、友人との付き合いも後回しにしていた。もちろん家族とも疎遠になってしまっていた。
そして致命的なこと、夢がなくなっていた。
オープン初日に【叶えた夢】になっていたのです。お店を出すこと、こんな夢はオープン日に消滅した。そして失敗しないように人生をかけて呪われているかのように働いた。
結果が、お店はあるが一人である。
任せられる人財もいないため、2店舗目の話はお断りし、夢を持てなくなった自分は、何のために働くのかを見失ってしまったのです。
当然そんなメンタルではやっていけずに、オープンから1年3ヶ月。閉店することになった。
奇蹟を信じる人生は明るくなる。
夢を実現できたのも、夢を失って心が空っぽになってしまったのも、すべてがいろんな奇蹟の上で起きていることです。
そして人は心が壊れた時に簡単に死ぬことを選択してしまう。というより居場所を失ってしまうのだと思うんです。
帰る場所だったり、行きたい場所がない人生は本当に辛いんです。
「一人じゃ生きていけない」とよく言われますが、少しニュアンスが違います。
「一人で生きていっても生きてる意味がない」
日々たくさんの奇蹟のなかで生きている。
今日も周りには奇蹟が溢れている。
この時代に生きている奇蹟を感じながら、幸せを探してみよう。
時間は止まらない、進んでいく時間の中で私たちは何を残せるだろう。
止められない人生
1秒1秒時計の針が進むのを見ていると自分の人生は「時間」でカウントされてるって思ったことがあった。1秒、1時間、1日、一週間、1ヶ月、すべてカウントダウンされてる。
人生うまくいってないとき、こんな考え方になってしまうもの。
『止められない人生』だって。
悔いのない人生を
いろんな人と話をしていると、後悔した話がほとんどを占める。あの時あの場所に行かなければ良かったなどと過去の自分を否定するような話をする。ネガティブな話は、人生を引き算にする原因になるのだ。
どんな過去も今の自分を創るものである。
失敗も成功もその後の選択を生み出し、選択したものに道ができる。それが人生。
悔いのない人生は、きっと無い。悔いることで成長し、努力するのだ。後悔は幸せな未来を創るために必要なものなのだから、今出来る事を挑戦していきたい。
今回の作品はこちらです。
とまらない
とめられない
それがたった一度の人生だから
悔いなく生きるって
何があっても
自分の人生
だって
胸張って生きなきゃ生きてる証、残すため
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