お葬式に2人しか来なかった理由とは
人の一生は、長い長い物語。死者は自分の最後の姿は見ることが出来ない。誰が悲しんでくれたかもわからないのです。亡くなった後に語り継がれる人のアナザーストーリーは、関わった人の中で生き続けるのか。
お葬式に来たのは、たったの2人
会えば誰かの悪口、仕事の愚痴が絶えない人だった。それでも後輩には優しい人で、よくご飯をご馳走になっていた。
訃報を聞いたのは、出会ってから8年後のこと。共通の友人からの連絡だった。
『あの人、事故で亡くなったらしいよ。明日お葬式らしいんだけど行く?』
驚いて一瞬時が止まったのだが、友人の話し方がやけに冷静だったので、すぐに我に返った。
思い出話しを少しすると、友人は
『俺は明日行かない。少しはお世話になったのかもしれないけどあまりいい影響は受けてなかった。』
その言葉に驚きもせずに、電話を切った。
亡くなった人を思い返すときに、その人を否定するような言葉は聞きたくない。どんな人生だろうが生きることは楽じゃないんだから。
お葬式当日、喪服に着替え個人を想いながら向かった。居酒屋で一緒に飲んだことや同じ仕事場で働いたこと、お金を貸してくれと言われたこと。そういえば思い出は多くなかった。
少し遅れて向かったため、駐車場は空いていた。
中に入るとご両親、ご親族がいて葬儀屋さんがバタバタと動いていた。
参列者は、私と当時故人が付き合っていた彼女のみだった。
人生の答え合わせ
たった2人しか来ないお葬式は寂しかった。もう二度と会えない寂しさよりも。
人は3度死ぬと言われる。
1度目は、心臓が止まった時、2度目は埋葬や火葬された時、3度目は、故人を忘れてしまった時。この寂しさは、3度目の寂しさだった。
誰の記憶の中にも生きていないことが、永遠の死を意味していることを実感してしまった。生きていた人生を忘れ去られてしまうことが、どれほど悔しいか、悲しいか。
生まれてきた時から、きっと命には使命がある。限られた命(時間)を費やしながら生きていく中で、出会いや別れを繰り返し、傷つき傷つけ人との絆を築いていく。
その中で、生き方や言葉で影響を与えていくのが人生。
お葬式は、人生の答え合わせだと思います。どれだけの人に影響を与えてきたのか、3度目の死を迎えないために、記憶からその人の生き方、生き様を消さないためにお葬式に来てくれるはずなんです。
生きていた証は、自分ではどうにもなりません。残された人が伝えていくしかないんです。
生き様を死なせるな
生まれてから死ぬまでの物語を誰かどのように伝えてくれるのか。そんなことを意識している人はいないと思いますが、すごく大事なこと。
今回の亡くなった先輩は、40年の短い人生でしたがご遺族や彼女さんから伝えられた言葉は、
「釣りが好きで、休みの日は朝早起きしてよく海に釣りに行ってました。」
「ギャンブルが好きで、給与のほとんどがパチスロで消えていたんですよ。」
「すべてが中途半端で、趣味がなく友達も少なかったみたいですね。」
これらの言葉です。
あまりにも悲しくありませんか。思い出や生きていた姿を伝えるには少なすぎます。
影響力のなかった人生が悪いとは言いません。お葬式で目の当たりにしたご家族の涙や悲痛な表情、心に穴が空いたような喪失感は、生きた証明そのものなのですから。
それでも人生の中で悩んだり苦しんだり、成功したり幸せにしたり、人生の中で『あなた』がいたから生まれたものがきっとあるはずなんです。
それを大切な人に伝えて行かなければなりません。
みんなが知っている偉人たちの物語には、必ず伝える人がいたはずです。
生き様は、決して殺してはいけません。心に生き続けさせなければならないんです。
今回の作品はこちらです。
それは届かないもの
忘れられないもの
忘れてはいけないもの夢を追いかけて
何かを失い
大切なものを得たこと
ありますか。いまのあなたを創るものは
なんですか。
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